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学問からの「ヴィーガン」のなぜなに?第五回

②なぜヴィーガンなの?


5.人のため


I.動物と人間の五百年

 16世紀初頭のイギリスでは、貴族や地主たちが需要の拡大する羊毛を得るため、農民から土地を取り上げて牧場に変えていきました。農民たちは仕事を失い、やむなく泥棒になる人も少なくなかったようです。

 当時の思想家であったトマスモアはこれを嘆き、羊が「人間でさえもさかんに喰殺している」と言い表しています[1]。 

 その後数百年にわたり、このような牧場経営は土地と資源をめぐってアメリカ、アイルランド、オーストラリア、アフリカと世界各地で農民や先住民を追い払い、紛争を引き起こすことになります[2]


 家畜に対する配慮のない扱いは、かれら動物だけではなく人間にも大きな危害をもたらしてきました。ですから動物に思いを巡らすことは、人間を思いやることと分かちがたく結びついているんです。


II.屠殺場労働者

  2004年、国際人権団体のヒューマンライツウォッチは報告書「血と汗と恐怖」で、食肉産業における労働者の人権侵害を批判し、社会に訴えかけました[3]


 屠殺やその後の加工は進行がとても速く、一時間に数百から数千の動物が処理されています。もちろん動物は生き物なので、屠殺の際に暴れて労働者が大きな怪我をすることもあります。このような作業は人々の肉体を酷使し、負傷率の高い危険な仕事であるにもかかわらず賃金は低く抑えられています。食肉産業の従事者の多くは未登録移民の人々で、失職や強制送還のリスクから処遇改善を要求できないのです[4]

 羽毛、糞便などに由来する微粒子と有毒ガスにより呼吸器官の炎症や疾病にかかる人も少なくありません。動物が必死に抵抗するのを日々目の当たりにするため、精神的トラウマを抱えてしまうこともあります[5]。年間の離職率は60~100%、つまり大半の人が辞めてしまうほど過酷な仕事だということです[6]


 日本では、鎌倉時代のころから屠殺に関わる人々が差別されてきました。これは屠殺場で働く人々が多かった、被差別部落への蔑視という形で長らく残ってきたものです[7]。現在までにかなり状況は改善したようですが、差別が完全に消えたわけではありません[8]


III.地域住民

 集約化した畜産業は、地域住民の生活の質の低下を招いています。


 畜産工場や屠殺場は低所得者層コミュニティに偏って位置していて、周辺地域で暮らす人々は土地と水の汚染や病に苦しみます[9]。黒人やヒスパニックの人々が多いアメリカのノースカロライナ州では、畜産工場から出される排泄物によって水系が汚染され、人々は頭痛、抑うつ、呼吸器疾患に悩まされています[10]

 ポーランドのある地域では、養豚場の近くの学校で豚の排泄物が処理され生徒が健康を害し、湖で泳いだ子供が目の病気にかかるという事件も起こっています[11]


IV.小規模家族農家

 食の主権(=食料や農業について自ら決定すること)や食の自律(=自分たちの栄養を満たすのに十分な食料を生産できること)が損なわれていることも見逃せません[12]


 スミスフィールドやタイソンフーズ、ブラジル養鶏連合など、多国籍の食肉企業は現在までにますます大規模化が進んでいて、多くの小規模農家を土地から立ちのかせてゆきました。アメリカでは大戦以来、工場畜産が300万以上の家族農場を離農に追いやっていると言われています。

 豊かな国の食肉需要が増えると植物性タンパクの価格が上昇し、貧しい国の人々が入手しにくくなります。また、グローバルな競争に巻き込まれて自分たちが営んできた持続可能な農業を放棄し、商品作物や食肉の生産に転換する人もいます。ですがそのような生産は環境を害するため長続きせず、貧困や栄養不足の悪循環に陥ることになります[13]


V.栄養不足

 世界中を見渡せば、20億人が微量栄養素の不足に、8億4000万人が長期の深刻な栄養不足に苦しんでいます[14]。しかし統計上では、既に70億すべての人にカロリーと栄養を行き渡らせるだけの食物を生産できています[15]


 では何故、飢餓がなくならないのでしょうか?


 問題は生産された食料の分配にあります。貧困により充分な食料が手に入らないこと、先進国で大量の食料が廃棄されていること、穀物を家畜の飼料として利用することなどが、各地へ満遍なく食料を供給するのを妨げているんです[12]


 なので、世界の飢餓を無くすために必要なのは、国家・地域間の経済格差をなくすこと、食品ロスを減らすこと、食肉を減らすことの三つです。

 前二つにも取り組んでいかなければなりませんが、仮に食肉をなくして家畜へ飼料を与えるのを止めると、人々が得られるタンパク質の総量は2倍になると言われています[16]


VI.交差性(intersectionality)

 交差性、という言葉があります。

 最近使われ始めたもので「抑圧の重なり」という意味なのですが、例としては環境レイシズム(=環境破壊と人種差別の重なり)が挙げられます。


 2007年から2013年の間、森林破壊の進むアマゾンで暮らしを守るために声を上げた先住民833人が殺されています[17]

 ここに見られる産業界の先住民への迫害と、先ほど述べた有色人種地域への有害廃棄物処理場の偏在などを総称した概念が、環境レイシズムです。※1


 このように、性差別、階級差別、障害者差別、ユダヤ人差別、外国人差別などに代表される様々な差別や抑圧が相互に重なっていることを指したものが、交差性です。※2


 人間が他種の動物を不当に扱うことは種差別と表現されますが、この種差別もやはり他の差別と切り離すことができません。

 日本でも早くに「人間と動物の間にはっきりと一線を画し、人間をあらゆるものの上位におく」ような思考や態度が、階級差別や人種差別につながっていると指摘した学者がいます[19]。貴族が農民を驢馬に例えるとき、驢馬を下等な存在と見なす心理が土台となっていたんです。※3


VII.連帯(solidarity)とヴィーガン

近ごろ、続々とヴィーガン料理本が出版されていますね。試しにその中の一つ、『世界の野菜ごはん』を開いてみましょう。スペイン、モロッコ、トルコ、イスラエル、インド、タイ、インドネシア、そして日本との関りが深いベトナムや韓国まで、東西南北の幅広い地域でヴィーガン食が楽しめることが分かります[20]

 また台湾や中国では古くから、仏教など宗教上の理由で動物性食品を避ける人々がいて、素食やオリエンタルベジタリアンという名で広まっています。日本でも、陰陽思想に基づいたマクロビオティックと呼ばれる玄米菜食の文化がありますね[21]。禅宗に起源をもつとされる精進料理も、植物性中心の食事として日本で親しまれてきました[22]


 2020年、音楽家のビリー・アイリッシュはグラミー賞を総嘗めにし、俳優のホアキン・フェニックスはアカデミー主演男優賞を獲得しました。二人はともにヴィーガンです。

 またテニス選手のジョコヴィッチは妻と一緒にヴィーガンレストランを経営し、実業家のビルゲイツは植物性肉の開発に多額の投資をしています。ロックミュージシャンのポール・マッカートニーは、今年の誕生日にファンへ「食肉をやめて欲しい」と訴えています。

 

 このようにヴィーガンやベジタリアンの実践は、地域や文化を問わず様々な背景を持った人たちが関わっているものです。決して一部の人の偏った思想だとは言えません。

 そしてこれまでに述べてきたように、あらゆる時代、あらゆる地域で「人と動物の関係」は歴史を動かしてきましたし、現在ますます重大な問題を孕むものとなっています。


 10年ほど前には批判的動物研究(critical animal studies)と呼ばれる学際領域が生まれ、「人と動物の関係」を問い直し、現実の問題である交差性を見出すことに貢献してきました[23]

 抑圧や差別は現実のうちで複雑に絡み合いながら、総体としての人と動物への暴力を形作っています。そして交差性は、種々の抑圧に共通する基盤を炙り出すツールです。

 人間の問題に終始しているのでも動物だけに気を配るのでもなく、動物も含めた多様な主体との連帯を築く。こうしてはじめて、交差する差別や抑圧をなくしてゆくことが可能となります。


 この意味で、ヴィーガンは「人間と人間以外の動物とを問わず、…害を加えない、あるいは苦しみに手を貸さないよう最善を尽くす」者であり、ヴィーガニズムとは「すべての者へ向かう思いやりの生活を十全に実践すること」でもあるんです[24]※4



 動物を追う、ゆえに私は<動物>である―ジャック・デリダ(1930~2004)


※1さらに詳しくはホーソーン『ビーガンという生き方』[23](p118-121)や映画「そこにある環境レイシズム」(エレンペイジ監督 2019)をご参照ください。


※2種差別とその他の差別のつながりについては、以下の書籍をご参照ください。


・性差別→アダムズ『肉食という性の政治学』(第一回の参考文献[2])

・障害者差別→テイラー『荷を引く獣たち』[5]

・ユダヤ人差別→パターソン『永遠の絶滅収容所』(第三回の参考文献[11])

・移民・外国人差別→ジェームズスタネスク、ケビンカミングス編『侵略者は誰か―外来種・国境・排外主義』井上太一訳 以文社 2019

ほか人間と動物の抑圧とその解放が幅広く論じられてるものとして、生田『いのちへの礼儀』[7]がお勧めです。


※3五十年以上も前の本なので、事実についての記述に誤りがあるかもしれません。例えば、日本は明治まで「伝統的に階層意識がよわかった」(p169)とありますが、まだまだ検討の余地があると思います。幕末から明治にかけての身分制をめぐる展開については、三谷博『維新史再考―公議・王政から集権・脱身分化へ』(NHKブックス 2017)がお勧めです。


※4交差性や連帯を重視するヴィーガンをインターセクショナルヴィーガン(intersectional vegan)と呼ぶこともあるようです。


<参考文献>

[1]トマスモア『ユートピア』平井正穂訳 岩波書店 2011(改版) p31 

[2]デビット・A・ナイバート『動物・人間・暴虐史』井上太一訳 新評論 2016(人と動物の関りがどのように歴史を動かしてきたかを論じた画期的な著作です)

[3]"BLOOD, SWEAT, AND FEAR: Workers’ Rights in U.S Meat and Poultry Plants". Human Rights Watch. 2004

[4]テッドジェノウェイズ『屠殺―監禁畜舎・食肉処理場・食の安全』井上太一 緑風出版 2016

[5]スナウラテイラー『荷を引く獣たち―動物の解放と障害者の解放』今津有梨訳 洛北出版2020(第十五章で食肉産業に従事する人々について述べられています)

[6]ピーターシンガー『動物の解放 改訂版』戸田清訳 人文書院 2011 p191

[7]生田武志『いのちへの礼儀―国家・資本・家族の変容と動物たち』筑摩書房 2019 p94

[8]「日本の被差別部落民―隠れた階級制度」BBCニュースジャパン 2015/11/27

[9]Macneil, Caeleigh "Hog waste threatens North Carolina's rural poor". The (Duke) Chronicle. 2016/3/28

[10]Peach, Sara "What to Do About Pig Poop? North Carolina Fights a Rising Tide". National Geographic. 2014/10/30

[11]ローリーグルーエン『動物倫理入門』河島基弘訳 大月書店 2015(第三章で食肉に関する様々な問題が論じられています)

[12]ロナルド・L・サンドラー『食物倫理入門』馬渕浩二訳 ナカニシヤ出版2019(第一章で食の主権や自律について、第二章で食料の分配について論じられています)

[13]デヴィッドドゥグラツィア『動物の権利』戸田清訳 2003 p111-112

[14]"The State of Food Insecurity in the World: Economic Growth Is Necessary but not Sufficient to Accelerate Reduction of Hunger and Malnutrition". FAO. 2012

[15]"FAO Statistical Yearbook: World Food and Agriculture". FAO. 2013

[16]秋津元輝、佐藤洋一郎、竹之内裕文編『農と食の新しい倫理』昭和堂 2018 p36

[17]Fellet, Joao. "High murder rates blight Brazil's indigenous communities". BBC. 2014/2/28

 https://www.bbc.com/news/world-latin-america-26320186

[18]「環境レイシズム―環境問題と人種差別問題の根っこはつながっている」エコネットワークス 2020/6/22 

[19]鯖田豊之『肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見』中央公論社 1966 p58

[20]庄司いずみ ベジタブルクッキングスタジオ編『世界の野菜ごはん』旭屋出版 2017

[21]庄司いずみ『作る人のためのベジタリアン・パーフェクト・ブック』講談社 2015 p16

[22]「精進料理の歴史」典座ネット https://tenzo.net/rekisi-home/

[23]井上太一「用語集」ペンと非暴力

[24]マークホーソーン『ビーガンという生き方』井上太一訳 緑風出版 2019 p13

 

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