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学問からの「ヴィーガン」のなぜなに?第三回

Writer:くろ

②なぜヴィーガンなの?

3. 動物のため

I. 動物の「意識」?

 2012年、イギリスのケンブリッジ大学にて、著名な科学者たちが『意識に関するケンブリッジ宣言』を発表しました。

 これは、哺乳類、鳥類、その他多くの動物が意識を生み出す神経基盤を持っており、動物の意識の存在を示す多くの証拠があると主張したものです[1]

 実は長い間、動物が意識や心といった主観的な働きをもつことは、名高い哲学者をはじめ多くの人に否定されてきました。例えば17世紀、ルネ・デカルトは動物は魂を宿さず感覚も感情ももたない機械だと断言し、18世紀の思想家カントは、動物は理性や自覚をもたず、道具として利用しても良いと主張していました[2]

 彼らのような考え方はその後も西洋を支配し、人々の動物への扱いは中々改められませんでした。19世紀のベジタリアン運動も、世の流れを変えるには至らなかったのです[3]

 20世紀後半に入って、動物に対する見方に大きな変化が生まれてきます。1966年にはアメリカで世界初の動物福祉法が作られ、実験での動物の苦痛を減らす試みがなされてきました[4]。また、1975年には倫理学者のピーター・シンガーが『動物の解放』を著し、社会全体で動物への道徳的配慮に取り組まなければならないと訴えました[5]

 科学の立場からは、動物学者のドナルド・グリフィンやマリアン・S・ドーキンスらが動物が示す意図的で複雑な行動を観察し、彼らが意識をもつ可能性が大きいと主張しました※1。さらに最近は動物の行動や認知についての研究が進み、動物は意図や自己意識と呼べるような複雑な心的過程を持つという考え方が主流になってきています[6]

 実際には、意識のような曖昧なものを科学的に実証するのは困難で、冒頭の宣言も厳密には動物の意識を証明したものではありません。実は人間の心や意識さえ、電気信号が形作るアルゴリズムでしかないという意見もあります[7]

 けれどもし私たちが、意識はアルゴリズムの働きでしかなく心などは存在しないと認めてしまえば、個人の自由意志までもが疑われ、様々な権利が失われてしまうかもしれません。

 動物行動学や神経解剖学といった科学が示しているのは、人の意識の存在を否定できないならば、動物の意識を否定することもできない、ということです[4]

II. 動物の「苦痛」?

 動物の主観的な側面が解き明かされてゆく中で、動物の肉体的・精神的苦痛についての研究も進んできました。「苦しみ」のような曖昧なものは明らかにできないと思われやすいですが、実際は科学によって客観的に捉えられる部分も多いんです[8]

 動物の苦痛の根拠として、刺激を避けたり体の一部をかばうといった行動上の反応と、脳の電気活動や神経インパルス、内因性物質の働きといった生理学的反応が客観的なデータとして示されてきました。さらに、損傷を回避、抑制するための情報提供の働きとして苦痛は生命の維持に役立ってきたというように、進化の観点からも苦痛の存在は支えられています。

 同様に、自律神経の高まりや運動神経の緊張を調べることにより、動物は不安や恐怖、さらには退屈といった感情をもつことが分かってきています[9]

III. 家畜の歴史

 以上から、動物が意識をもち、苦痛を感じる可能性がとても大きいことが分かりました。この視点に立ったとき、「人と動物の関係」の暗い側面が見えてくるようになります。

 いつの時代も、人が牛や馬などの家畜動物を育てるのは、それが農作業の手助けや食料生産といった人間の利益にかなうためでした。そして利用する以上、去勢しておとなしくさせたり、檻や囲いに閉じ込めたりというように、悪意はなくとも動物にとって過酷な扱いをすることは避けられません。

 ただし、全ての家畜動物が極めて悲惨な生を送っていたというわけではなく、飼い主に愛されて育った動物も少なくありませんでした[10]

 しかし19世紀後半から20世紀にかけて、食肉需要が膨らむとともに畜産業の効率化と大規模化が進み、動物たちの扱いはかつてないほど悪くなっていきました[11]

 このように高度に集約化された畜産の在り方は、工場畜産と呼ばれています。これについては、歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの描写が鮮烈です。

「工場畜産の大規模農場にいる何十億もの動物たちは、痛みや苦しみを感じる生き物としてではなく、食肉、牛乳、鶏卵を生産する機械として扱われている。工場に似た施設で大量に生み出される動物たちは、体そのものも、畜産業のニーズに合わせてつくり変えられている。そして一生を巨大な生産ラインの歯車として過ごし、正存の期間も質も、農業関連企業の損得計算によって決定されている。動物に与える苦しみの総量からすれば、工場畜産は間違いなく、史上最悪の犯罪のひとつに数えられるだろう。」[12]

 鶏は本来日光浴や砂浴びを好み、巣作りをしてその中で卵を生む動物で、豚もまた毛づくろいをしたり仲間と協力したりする欲求を備えてます[13]

 けれども、利益を第一とする工場畜産の中では、そのような動物たちの主観的な望みが顧みられることはありません

IV. 日本は?

 ここまでは、世界(特に欧米)の動物をめぐる展開を述べてきました。それでは、日本の場合はどうだったのでしょうか?今、どうなっているのでしょうか?

 日本では19世紀後半に西洋諸国の文化がもたらされるまで、肉食は一般的ではありませんでした※2。明治・大正期になっても食肉需要は大きくなく、動物の飼育や屠殺は家庭の中で行われていたようです[14]。また、役牛など農作業の助けとして飼われる家畜が多かったため、食用の家畜動物は人々に馴染まれていませんでした[15]

 戦後に入って、状況が大きく変わってきます。アメリカの影響のもと1950年からは学校給食が開始され、子供がパンや乳製品を食べるようになります。1970年代には畜産業の工業化、集約化が進み、同様にアメリカの紹介でケージ飼育の採卵鶏やブロイラー(後で説明)が導入されます。

 肉用鶏の平均飼養頭数(=一つの農家が飼う動物の数)は1946年の3600羽から57000羽(2014年)に、養豚農家では1965年の4頭から1810頭(2015年)にまで膨れ上がっています。

2013年には、国内で8億3700万以上の家畜動物が屠殺されています。加えて魚の消費量も戦後の漁業推進により急速に増え続け、2001年には一人当たりの消費量40.2kg/年でピークに達しました[14]

 国内での生産とともに、2012年には食肉の45%、飼料の74%が輸入されるなど、海外で生産されたものも多く消費されています[16]

 では現在、日本の家畜動物はどのように生きているのでしょうか?※3

 採卵鶏(=卵を産む鶏)の9割は、バタリーケージ(=B5サイズほどの檻)の中、羽を伸ばすこともできない環境で生きています。8割は、鶏同士でつつきあうのを防ぐために雛のうちにくちばしを焼き切られます。産卵を始めて一年ほどで採卵率が低下していきますが、3分の2は二週間の強制換羽(=絶食・絶水などの給餌制限)で羽を抜け変わらせることで再び卵を産めるようになります。

 運動不足と卵を産み続ける負担のために骨軟化症や骨粗鬆症にかかることが多く、出荷時には3割の鶏が骨折しています[8]。採卵鶏はもちろんみな雌なので、必要のない雄の雛は生まれてすぐに袋で窒息・圧死させるなどの方法で殺されます。日本で殺処分される雛の数は、一年におよそ1億羽ほどと言われています[14]

 ブロイラー(=食肉用のニワトリ)は、一平方メートルあたり15羽ほどの密集した畜舎の中で飼育されます。品種改変のため体重がすぐに膨らみ、自分の重みのためにほとんど歩けません。急激に体が成長するためバランスが取れず、しばしば足に炎症が起こります。生まれてから二か月弱で出荷されます。

 雌の豚の9割は、妊娠ストール(=方向転換もできないほど狭い檻)の中で食事、排泄、睡眠のすべてを行います。その為ストレスで檻の柵をかじり続けるなどの異常行動を示します。一年に2~3度子供を産みますが、子豚は生まれてすぐ、他の豚への害を避けるため6割は犬歯を切除され、かじられるのを防ぐため8割は尻尾を切られます。さらに肉に臭みが付くのを防ぐために95%は去勢されます。これらは麻酔なしで行われることが多いようです。離乳後には子豚だけの畜舎に移され、六か月後に出荷されます。

 ストレスや体に合わないトウモロコシなどの濃厚飼料の摂取のために、胃潰瘍を患うことがあります。屠殺される豚の6割は、病気などにより体の一部が損傷していると言われています[14]

 乳牛は、乳を出させるために生涯で平均4回授精され、乳量が減ってくると食用にされます。4分の3は狭い区画でつながれて一生を過ごし(=つなぎ飼い)、ストレスで異常行動や病気がしばしば生じます。濃厚飼料を与えるために牛舎で育てられることが多いのです。子供は生まれて数日で母牛と引き離され、雌なら乳牛となり、雄なら肉牛でないために安く取引されます。

 肉牛は、霜降り肉(=脂肪が筋肉に網目状に入った状態)を作るために、雄は生後数か月で去勢され、群れでの行動や運動を制限された中濃厚飼料で育てられます。そして生後二年半ほどで出荷されます。

 いずれの牛も人への害を防ぐために生後数か月で角が切られます。角には神経と血管が通っているため大きな痛みを伴いますが、8割は麻酔なしで行われます。また牧草などの粗飼料ではなく濃厚飼料を与えていると、牛の体に合わないために膨張症や酸毒症を患うと言われています[17]

 魚もまた、科学的に苦痛を感じることが分かってきています[18]。魚を捕獲する時には鈎針や窒息などによる苦痛が避けられませんし、養殖では過密飼育のストレスで病気が蔓延し、繁殖させる際には大きな苦しみが伴います[19]

 当然、畜産農家や漁業者の方たちに悪意があるはずもなく、消費者が安い食肉を大量に求める限りは仕様のない措置なのかもしれません[20]

 なのでこの問題については、決して生産者の方々を責めることはせず、社会全体で解決を図ってゆくのが大切だと思います。

次回は、ここまでの復習もかねながら「ヴィーガン」を根っこまで掘り下げてみたいと思います。









※1グリフィン『動物に心があるか』(原書)1976、ドーキンス『動物たちの心の世界』1993の二冊は和訳されています。動物の主観的働きをめぐる論争の歴史は、ドゥヴァ―ルの著作[6]で詳しく述べられていて、お勧めです。

※2動物が全く食べられていなかったのではなく、正確には政府や社会から不道徳で穢れたものとして長い間避けられていた、ということになります。これが明治四年(1871年)の宮中の肉食解禁や、明治五年の「肉食妻帯勝手たるべし」とする太政官布告を皮切りに、かえって肉食が奨励されるようになってゆきます[14]。

さらに詳しくは、例えば中村生雄『肉食妻帯考』などをご参照ください。

※3家畜動物の現状については基本的に枝廣『アニマルウェルフェア』[13]を参考にしていますが、本書以外の情報を載せる際には参考文献を示しました。

参考文献

[1] The Cambridge Declaration on Consciousness. 2012/7/7

[2] ゲイリー・L・フランシオン『動物の権利入門』井上太一訳 緑風出版 2018(動物への配慮について、倫理学を中心に広く論じらています)

[3] マルタザラスカ『人類はなぜ肉食をやめられないのか』小野木明恵訳 インターシフト 2017(第八章)

[4] 伊勢田哲治『動物からの倫理学入門』名古屋大学出版会2008(第一章で人と動物の関わりの歴史が簡潔に述べられています)

[5] ピーターシンガー『動物の解放 改訂版』戸田清 人文書院 2011(動物倫理学やアニマルライツ運動の先駆けとなった古典的著作です)

[6] フランス・ドゥ・ヴァ―ル『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』松沢哲郎監訳 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2017(特に第七章で動物の意識について論じられています)

[7] ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス』柴田裕之訳 2018 河出書房新社(第二章で人と動物の歴史をたどりながら両者の意識や心について論じられています)

[8] 佐藤衆介『アニマルウェルフェア―動物の幸せについての科学と倫理』東京大学出版会 2005(第二章で動物の苦痛を客観的に捉える科学の手法が述べられています)

[9] デヴィッドドゥグラツィア『一冊でわかる 動物の権利』戸田清訳 2003(第三章で動物の苦痛や苦悩について詳しく述べられています)

[10] ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』柴田裕之訳 2016 河出書房新社(第五章で動物の家畜化について述べられています)

[11] チャールズパターソン『永遠の絶滅収容所―動物虐待とホロコースト』戸田清訳 緑風出版(第三章で畜産業の集約化についての歴史が述べられています)

[12] ポールシャピロ『クリーンミート―培養肉が世界を変える』鈴木素子訳 2020(引用はハラリによる序文p5より)

[13] 枝廣淳子『アニマルウェルフェア―倫理的消費と食の安全』岩波書店 2018

[14] 生田武志『いのちへの礼儀―国家・資本・家族の変容と動物たち』筑摩書房 2019(前編第四章で日本の食肉の歴史が、第五章で畜産業や漁業の現状が述べられています)

[15] 板垣貴志『牛と農村の近代史 家畜預託慣行の研究』思文閣出版 2013(日本の農村における家畜の歴史が論じられています)

[16] 秋津元輝、佐藤洋一郎、竹之内裕文編『農と食の新しい倫理』昭和堂 2018 p38

[17] マイケルポーラン『雑食動物のジレンマ』ラッセル秀子訳 2009. p105-106(健康、環境、倫理に配慮した健全な食生活について論じられた本で、第17章では独自の視点で畜産業とヴィーガンの双方が批判されています。一つの意見としてご参照ください)

[18] Ferris Jabr. "Fish Feel Pain. Now What?". Hakai magazine. 2018/1/2

[19] マークホーソーン『ビーガンという生き方』井上太一訳 緑風出版 2019(第一章で家畜動物や実験動物の現状が述べられています)

[20] シェリー・F・コープ『菜食への疑問に答える』井上太一訳 新評論 2017(第十一章で生産効率化のために家畜動物の扱いが悪化してしまう理由が生産者の視点から述べられています)

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