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あなたの中には「動物を大切にしたい」気持ちがある

Writer:すりみ

こんにちは、すりみです。

大学四回生で昨年の年末にサークルに入り、今年の4月くらい?からベジタリアンを実践しています。菜食を初めてだんだん慣れてきてしまい新鮮味が薄れてしまったのですが、菜食に関して考えていることを書きたいと思います。


「ベジは質素に生きることではなく、ユニークに生きること。」

菜食を続ける中でよく思っていることです。


私は今年の4月くらい?からベジタリアン、厳密にはペスカタリアンです。

DOMINIONをみて最初は単なるショックで肉を食べるのをやめたのですが、それ以降もお肉を食べる気が起きなかったことに加え、お肉を食べないことがもたらす、いい影響を知り実感したので、今もお肉は食べません。


魚は食べるのですが、他者(社会や動物)のために生きたい気持ちと自分のために生きたい気持ちの釣り合いが取れるポイントで菜食を実践し、より長く続けていきたいと考えた結果こうなりました。


人間が完全に利他的になることは難しいのではないかと思います。利他が利己であるからこそ無理なく実践できると私は考えているので、今のところはヴィーガンになれないなと思っています。他者のためがすでに自分のためになっているヴィーガンの方は本当に尊敬しているし、いつか自分もそうなれたらいいなと思っています。


さて本題ですが、「ベジは質素に生きることではなく、ユニークに生きること。」とはどういうことか。


一般的にベジは食べられるものが植物性のものに限られてしまうので、これもこれも食べられないじゃん可哀想、、みたいに言われることが多いです。

確かに始めた当初はそうだろうと思っていました。やっぱりなんか物足りない感じがしてしまうなと。


でもしばらくするとあれ美味しいものたくさんある、これもこれも知らなかったという新しい発見があります。最終的にそれほど食事で物足りなさを感じなくなりましたし、菜食に関する好奇心で満たされています。


何が言いたいかというと、人は自分の立場からしかものを見ることはできない、ということ。


そう言えば、レヴィ=ストロース も西洋人が原住民に劣っているという見方を批判し、両者は異なるベクトルを持っているだけで、本質的には変わらないのだと言っていました。原住民は科学的なことを知り得ないし語ることができないと言われていましたが、それは科学という手法のもとで確立される事実に価値を見出さないだけで、彼らにとって本当に関心のあるもの、例えば植物の葉っぱの色形に関しては、一流の観察眼を持ってして西洋人が知り得ない細かい差異を見分けることができるのだと。


レヴィ=ストロース がいわゆる文明と非文明について語ったほど、大きな差異がベジとノンベジの間に存在するとは言えないですが、どんな事柄に関しても部外者から見えるものなんてしれているのです。本当にその立場になってみないとわからないことがたくさんあります。


菜食を続けることに関しては、もちろん苦労もあって、ん〜と頭を抱えて悩むこともありますが、それ以上に面白い発見が多いのではないかと思います。私が気づいたことは、砂糖や脂肪分などの呪縛から解放されて集中力が高まること、美味しい変な野菜がたくさんあること、自分には関係ないことだと思っていた環境や人権の問題に、食をはじめとした日々の選択を通じて関わることができること、などです。少しでも興味を持った方は是非是非始めてみてください😊


言いたかったのは、菜食は引き算じゃなくて掛け算なんです!ということ。今の自分から何かが失われるわけじゃなくて、今の自分に新しい視点がかけ合わさって新しい自分に変わるということ。それも、ここでの変わるという意味は、全く別のものになるというよりは、内面から滲み出るものを体現したら見た目が変化したと言ったほうが適切かもしれません。


私はずっと前から動物が好きで、道端で動物を見るたびにとても幸せな気持ちになります。一方で、ずっと昔から最近まで肉を食べていました。最近やっと肉の製造過程を知り、自分が食べているものが紛れもなく生きていた動物であるという事実に直面したとき、動物が好きという気持ちと動物を食べるという行動との間に埋まるはずもない大きな矛盾を抱えてしまいました。


肉を止めることは自分の内面に意識を向け向き合うことに他なりませんでした。だから新しい自分ではあるけれど、価値観がガラッと変わったわけではなくて、ただ自分の頭と体のが調和して、より自分らしくなれたなと思っています。最近はすごく心地よいです。


宗教チックだと言われることも多いですが、それはおそらく菜食を実践する中で得られる効用として精神の健康を感じる機会が多くなるからではないかと思います。でも菜食が宗教と違うのは、みんな大好きエビデンスが沢山あります。これも菜食を初めてからしか知ることができなかったことです。このようなことが沢山ありました。


もちろんこれらの情報も菜食を支持する立場の情報であり中立的とは言えません。しかし、菜食は、現代社会、特に資本主義社会において、お金稼ぎを追求し見失ってしまっている本当に大切なものを再確認するきっかけを提供してくれる一つのキーワードなのではないかと思います。


意外と政府も法律も企業も社会を最適な方向へと導いてくれるものではないのです。何年も何年も変わっていない法律や、経済を回すことに必死な政府を信用することが、理想の社会に近づくための一歩とは到底思えません。現在、どんな言葉の背景にも誰かの欲望が渦巻く世の中になってしまいました。そして本当に大事なものほどお金を生むのが難しく置いてけぼりにされてしまう世の中でもあります。


まずは自分の気持ちに正直になってみる、また世の中に漂っている言葉を安易に信じず自分で考えてみる。私もまだまだできていません。ちょっとした違和感をほっとかないでください。自分で自分を無視したら、誰もあなたのことを聞いてくれなくなると思います。それはとても悲しいことなので。


なんだか脱線した気がしますが、ここで終わりにします。

また何か書きたいと思います。みなさん遊びにきてください〜


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