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アニマルサンクチュアリのレポート(by boru//)

Writer: boru//


昨年、岡山県にあるアニマルサンクチュアリ、Honey`s Farm Sanctuaryに訪れた(以下、Honey'sと略す)。


Honey`s Farm Sanctuaryのインスタグラム


アニマルサンクチュアリとは、過酷な環境下に置かれた家畜動物たちをレスキューし、その動物たちの最期まで面倒を見る場所である。


海外のアニマルサンクチュアリ


日本に存在するアニマルサンクチュアリは、ここを含めて少なくとも4つしかなく、数が少ない(おそらく以下のリンクに載っていないだけで、もう少しあるかもしれないが、海外と比べて非常に少ないのはたしかだろう)。


 数が少ない理由は様々に考えられるが、最も大きな理由の一つは寄付文化が日本に存在しないことだろう。海外の(適切に機能している)アニマルサンクチュアリは、個人からの寄付はもちろん、企業からの寄付を受けて運営しているようである(これが企業の倫理的アピールになるらしい)。

 したがって日本でアニマルサンクチュアリを継続的に運営する場合、寄付に頼ることはほぼ不可能である。そのため、ボランティアや運営者の収入を駆使して運営するしかない。実際、Honey`sでは運営者(夫婦)の収入で成り立たせているとのことである。しかしそれは誰にでもできることではなく、アニマルサンクチュアリの運営を困難にしている要因の一つである。


 アニマルサンクチュアリの一般的な事柄はこの辺にして、私自身が今回訪れて考えたことを以下で述べる。


 私がアニマルサンクチュアリに訪れて主に知りたかったことは以下の二つである。

  1. 動物たちの幸福(well-being)はどれほど確保されているのか

  2. アニマルサンクチュアリの運営はどれほど継続可能性があるのか


 第一の疑問は、アニマルサンクチュアリで保護された動物たちは本当にその最期まで幸福に生きられる保証があるのかどうかに関わる。「動物」と一言にいっても様々な種類がいる。Honey'sでは牛、ポニー、豚、ヤギ、うさぎ、ねこ、鶏、犬がいる(私が訪れたときから増えているかもしれない)。もちろんそれぞれの動物たちには個性があり、また怪我や障害を負った動物もいる。すべての動物の幸福を同時に確保することがどれほど困難なのかは想像に難くない。

 この疑問に対しては、動物の幸福は確保されているのではないかという感想を持った。まず、訪れた場所はかなり広く、動物たちがのびのびと生活できるには十分な広さのように思えた。また動物たちは相互にコミュニケーションを取っているようであり、孤独感などの問題もないように思えた。印象的だったことの1つは、ヤギと牛・ポニーがエサを食べようとするときに少し突っつき合っていたことである。異種間の動物たちで社会的な関係性が築き上げられているように私は感じた。

 また運営者との間の絆も形成されているように感じた。例えば、それぞれの動物には名前があり、名前を呼ぶと反応しているのは印象的で、あたかも言葉を理解しているように見えた。

 こうした点から、行動の制約や社会的な孤独感はない、あってもごくわずかだろうと思われる。また当然ながら食事は適切に与えられているだろうし(例えばアニマルサンクチュアリの方との会話の途中で、食事のなかに異物が混ざっていると感じたのか、彼女はとっさにそれを確認していた)、怪我や障害を負ったときも、近隣の獣医の協力を下に、適切にケアされているようである(運営者自身も獣医並みまたはそれ以上の技能を保持しているようであった)。以上のことから、動物たちはここで幸せに生活できていると考える。(ただし、私にはアニマルウェルフェアの知識が欠けているので、以上のことに関して本当に適切か否かを判断することはできない。)



 ただ、こうしたことは並々ならぬ努力の下で達成されており、生半可な意思では到底できない。というのも、寄付文化がないため資金源の確保が困難であり、また運営者は2人で、動物の世話をする人の数が動物の数と比較して少ないと思われるからである。

 そこで第二の疑問は、寄付文化のない日本でアニマルサンクチュアリを継続して運営することがどれほど現実的なのか、である。運営者の仕事の収入で成立させているという話は事前に知っていたが、はたしてそれだけで継続可能性を現実的に確保できるのか、全く想像がつかなかった。

 そして話を聞いた限りでは、なんとか確保できている状態のように感じた。特に印象的だったのは「米と塩だけで生活する覚悟があるなら」と言われたことである。運営者らの生活費は極限まで削られているようであり、自分たちの生活よりも動物たちの生活を優先しているのは明らかであった。そうしてもなおギリギリ以下の生活を送っているらしく、寄付が少ない中で継続可能性を大きく確保するのは困難なようである。私たちが見学に訪れたときには見えなかった、尋常ではない努力がそこにあるのだろうということが強く感じられた。自分たちの人生を動物にささげる覚悟を持って、ようやく継続可能性を確保できるように思えた。



 次に、事前に念頭に置いていた疑問以外で、今回訪れて得たことについて2つ述べる。

 第一に、日本の工場畜産の現状は海外の工場畜産とそう大差ないかもしれないという点である。海外の工場畜産の状況は動物権利団体の並々ならぬ努力による活動によって広く知られているが、残念ながら日本の工場畜産のそのような情報はなく、統計的な公開情報も回答数(母数)の少なさからあまり当てにならない(回答するだけの余力がある生産者しか回答しないという生存バイアスを考えれば、回答に表れない氷山の下がどうなっているかを意識すべきである)。したがって、個々の生産者の状況や、大域的な状況を知ることは日本では困難である。そして今回知れたのは主に前者、個々の生産者の状況であり、運営者の経験談から事情を知った。もちろんこれを一般化することはできないが、しかし日本の工場畜産が海外のそれと大きく違うと想定する理由は(少なくとも私にとって)少なくなった。


 そして第二に、アニマルサンクチュアリをやろうとしている人がここに訪れることが多々あるらしいが、しかし彼女ら/彼らの意思や信念、知識がかなり不足しているのではないかということである。Honey'sに見学に訪れる人々の中には、これからアニマルサンクチュアリを始めようとしているためのアドバイスをもらいに来ている人がいるらしい。だが上で述べたように、寄付文化のない日本でアニマルサンクチュアリを継続して運営することの難しさは尋常ではない。例えばアドバイスを貰いに来る人の中には、資金源をどのような補助金によって確保しているのかを聞く人がいるようである。しかし、運営者に言わせれば、スタート地点からすでに間違っているのである(そのような都合のいい補助金など日本には存在しない)。

 仮に補助金や多額の資金源の確保が可能だとしても、その場合は何らかの公認の団体として運営することになるが、そうなった場合に予想されるのは形骸化と破滅である。多額の資金を確保できた団体のメンバーの一部が、そのお金に目がくらむ可能性を否定できないだろう。そうなった場合に最も被害を受けるのは動物である。したがってそうなるくらいであれば、確実に信頼できる少数の人で、わずかな寄付と内部の収入だけで運営していくのがより良い選択であるといえるかもしれない(この問題は海外のアニマルサンクチュアリでも同様である。「疑似サンクチュアリ」などの問題についてはL・グルーエン『動物倫理入門』の5-6節「サンクチュアリ」を参照のこと)。以上のことから、生半可な覚悟と知識でアニマルサンクチュアリを始めるべきではないと言わざるを得ない。しかし一方で、アニマルサンクチュアリの数が増えることも望まれるため、ここには大きなジレンマがある。これをどう解決すればいいか、海外の事情を勉強しつつ考えていきたい。



 最後に若干の感想を述べる。今回訪れて最も記憶に残っているのは、何よりも運営者、特にかおりさんの言動から感じた強い信念、意思である。正直に言えば、私は動物に対して今でも学問的な興味しかもっていないし、動物倫理についてもそうである。もちろんそれは私の実践に強く結びついており、動物倫理を通じて私の倫理的実践をより良くすることを目指しており、少なくとも「私はヴィーガンです」と言える程度にはそうしてきたつもりである。しかし、その意思や動機づけは、訪問前のときは弱まっていた。ある程度動物倫理を勉強して「少しかじりました」と言える程度になった段階で、他の勉強に移っていた。そうしていくなかで、私の中で倫理、特に実践倫理に関する関心が薄れていったのは確かである。今回の見学を通じて、運営者の強い信念と意思を感じて、実践倫理、その中でも特に大きな問題領域を占める動物倫理に、再び興味と関心がわいてきた。日本語の文献のみならず海外の文献も読み、学び、そして私の倫理的実践をより深く考え、実際に実践に移し、動物のためになることをこれまで以上にしようと思う。









(urlは全て2020-10-03に閲覧)



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