top of page

丑年にウシを想う——つくられた「牛」のイメージと絵画から見る現実の「牛」—— 

Writer: トンmi

今年は丑年。

昨年末から文具店、雑貨屋等々、牛をモチーフにした商品が競うように店頭に並び、年賀状コーナーはキュートな牛たちでいっぱい。牛オタクの筆者には夢のような世界でした。

…一方で、ずらりと並んだ牛のグッズやイラストを目にして、多くの人が思い浮かべる「ウシ」像に思いを巡らすきっかけにもなりました。


デザインの中の牛

LOFTやネット上の素材サイトを見ると、牛のデザインは大きく分けて二種類あるようでした。

一つ目は、白黒まだら、すなわち乳牛ホルスタインのイメージ。しばしば緑豊かな牧草や牛乳瓶と一緒に描かれ、「酪農」や「乳生産」と結びついていることが分かります。あるいは、特徴的なその模様のために、「白黒まだら=牛柄」として象徴的に扱われていることも多くありました。例えば、極端にデフォルメされたり擬人化された牛は、識別しやすさのためか多くの場合白黒まだらをまとっているし、中には「牛柄」を身に付けた女の子のイラストなども。

2021年年賀状のフリー素材。デフォルメされたホルスタイン。


二つ目は、「日本古来の牛」のイメージに基づくと推察される牛。寺社仏閣に置いてある牛の置物や絵馬から導かれたイメージとも言い換えられます。毛色は白、黒、茶などの単色で、頭や首に華やかな綱を巻いていたり、背に赤色などの飾り布をかけていたりすることもあります。飾りはともかく牛自体は、牛車や農耕牛など、役牛として古くから日本で生きてきた牛の延長上にあると推察されます。

無論この二つの分類の他にも、目が大きく愛嬌あるジャージー牛や、ヘレフォードやハイランドのような力強い外国の牛などをモチーフにしたものもありましたが、ごく一部です。


菅原院天満宮にて撮影。手水所の牛。黒の単色で、首に綱、背には飾り布。


LOFTにあった2021年年賀状のイラスト。白の単色で、背には飾り布。


このように分類して、「牛のイメージはつくられたものなのではないか」とふと感じました。


人々―畜産業に関わったことがない、関心すらほとんど持たずに一生を終えていく大多数の人々―にとって、想起する「牛」は、企業が売るためにつくりあげてきた「のんびりした」「のどかな」風景で生活する牛、あるいは思わず手に取りたくなるような「かわいい」牛といったイメージに由来するのではないでしょうか。実際に目で見た牛からイメージする人は少ないのではないか、と。

先程の分類で見ると、後者の牛には、デフォルメされた乳牛はもちろん、上で述べたような神社やお寺などの絵や干支の置物から引用されたイメージも含まれるでしょう(和牛共進会の黒毛和牛などに似ていないこともありませんが…)。

前者に関しては、牛乳のパッケージからテレビCM、観光牧場まで、多様な場面で繰り返し刷り込まれてきたイメージだと考えられます。「牛と言えば白黒」「牧草地でのんびり」…確かに緑の大地と青い空に白黒の牛はよく映え、広告向けだといえるでしょう。


しかしながら、それらは日本の牛の現状を反映しているでしょうか。

牧草地で放牧されている牛はごく一部にすぎません。牛舎で生まれ育ち、青草の生えた大地を踏んだことのない牛が数多くいます。

描かれる牛の多くが立派な角を生やしている一方で、畜産現場では多くの牛が安全性と経済性のために除角されている現実があります。

肉牛をモチーフにしたデザインがほとんどないことにも違和感を覚えました。ホルスタインの白黒まだらと比べると、模様のない黒や茶色の牛はインパクトに欠けるからでしょうか。

さらに言えば、牛と牛乳瓶が書かれたイラストはありましたが、牛と牛肉料理が並べられたイラストは滅多に見かけませんでした。なぜでしょうか。「かわいい」と愛でるべくキャラクター化された牛と、肉としてその体を食す行為の象徴を並べることがサイコパスチックだと感じられるからでしょうか。

ひいては、そういうイラストは売れないからでしょうか。


このようなイメージに固定化されて現実の牛から関心が遠のいていくことは、いささか悲しく感じてしまいます。


絵画の中の牛

前置きが長くなりました(実はここまではあくまでイントロでした)。


今回のブログ記事は、「牛を描いた絵画から、時代や地域を超えた牛のあり方を見てみよう」をメインテーマにしています。(もっと率直に述べると、「牛好きが薦めるぜひ見ておきたい牛の絵」です。)

動物の絵やイラストというのは千差万別です。先述したような「かわいさ」に主軸を置いたイラストもあれば、禅宗で用いられた『十牛図』のように宗教的意味があるもの、語呂合わせや言葉遊びの一環で象徴的に用いられたもの、出世や子孫繁栄といった現実的な願望を重ねる対象として描かれたもの、そしてそれらの複合など、多くのカテゴリーに渡ります。

語り尽くしたいのはやまやまですが、筆者の知識も紙幅も限りがあるため、今回は特に、現実の牛を写実的に描いたと見られる3枚の絵を選びました(それでも十分長文です…)。これらの絵をきっかけに、過去と現在、日本と他地域における「牛の存在」について少し考えてもらえたら幸いです。


①久隅守景、狩野永良など 『耕作図屏風』

江戸時代 久隅守景 - Wikipediaより)


一年を通した折々の農作業風景を描く四季耕作図は、中国を発祥とし、日本でも室町時代以降多く描かれたといいます。代掻き、田植え、青々とした稲がやがて実り稲刈り、集落へ運んで脱穀―その季節の営みのところどころに牛が登場します。牛犂をつけて代掻きしていたり、刈り取った稲を背負って運んでいたり。上の画像では、小さいですが右隻手前に代掻きをする黒い牛の姿が見えます。「牛の絵」としてここに挙げましたが、けして牛は主役ではありません。あくまで農村の生活の一部としてそこにいるだけです。

機械や化学肥料がない時代、牛や馬は耕作に欠かせない存在でした。農村には当たり前のように牛がいて、共に働き、地域によっては牛を駆けさせてその速さでその年の豊作を占うなど、牛にまつわる年中行事も種々あったといいます。人と牛が当たり前のように共に生きていた風景。そんな時代を垣間見ることができる絵です。

なお、上の画像では小さくて見にくい!という方は、e国宝のサイトで久隅守景筆の別の耕作図屏風を拡大しながら見ることができます(リンク:参考文献参照)。また、書籍『アニマルワールド―美術の中の動物たち』にも狩野永良筆の耕作図屏風が取り上げられています。


②Rudolf Koller ”Die Kuh im Krautgarten (キャベツ畑の牛) ”

1857年 (Rudolf Koller - Wikipedia より。その他の作品も閲覧可能)


畑で一心不乱にキャベツを頬張っていた牛が、はっとこちらに気付く…そんな一瞬を捉えた絵。放牧地から逃げてきたのか、それとも当時のスイスでは牛を厳しく囲ってはいなかったのか…ともかく人が食べるために育てられたキャベツの畑に本来牛が入ってはいけないはずです(おまけによく見るとキャベツを糞で汚しています)。口からはみ出たキャベツの葉と、こちらを凝視する目。盗み食いがばれた子供のような、「やばい、見つかった」という声すら聞こえてきそうです。画家と目があったこの牛は、一瞬のちに脱兎のごとくその視界から逃げ去ったとか、去らなかったとか。

この絵はスイスの細密動物画家、Koller氏によるものです。現実をありのままに描く写実主義のもと、スイスの風景に息づく牛の姿を多く描き、それゆえ”スイスの国民的動物の画家(the painter of the Swiss national animal)",と表現されることもあるそうです。この絵の他にも、彼の絵からは、人と牛の生活が重なっている田園の風景や、牛と共に生きる人々の生活が読み取れます。ゆったりと牛の背に腕を預ける男性や女性。山から牛を追い立てる牛飼いの男。木陰で微睡む姉妹と、それに寄り添うように集まりくつろぐ羊や牛たち…。のどかな、美しい風景です。


③富田美穂『1177』

2017年 (http://tomitamiho.com/ja/works/ より。その他の作品も閲覧可能)


富田さんは、北海道で酪農ヘルパーとして働きながら、酪農現場の牛の絵や版画を制作しておられます。武蔵野美術大学在学中、酪農の住み込みバイトを行った際に、牧場で出会った 「牛」 に魅了されたことから、牛をテーマにした木版画の制作を始められたそうです。描かれる牛たちの毛並みや、うっすらと浮き出る骨や筋肉の質感は、今にも動き出しそうなほどにリアル。つややかで黒々とした目には生気が宿り、鼻の湿り具合まで感じられるよう。牛によっては、耳標が外れた跡や、足に巻かれたテープ(おそらくパーラーで搾乳する際の目印)などもありのままに描かれ、中には痛々しいと眉を顰める方もいるかもしれません。しかしそれでいて、写真にはない柔らかさやぬくもりもまた感じられます。

間近で牛を見たことがある人ならば、「確かにウシってこういう表情するよね」とほほえましく、親しみを覚えるのではないでしょうか。酪農の世界で日々息づく牛の姿、そして日々牛を見つめる画家のあたたかな視線が、数々の絵の中に感じられます。


リアルの牛を、もう一度

耕作図屏風で見たように、かつての日本の農村において、牛は身近な存在でした。

やがて農業機械と化学肥料に役目を明け渡した牛は、欧米に倣い乳肉用として本格的に役目を負うようになります。田畑で犂を引く必要のなくなった牛が牛舎から出る機会は減りました。それと同時に、都市化が進行して農村人口は減り、畜産業に携わる人口も減っていきました。

日本人と牛が身近に触れ合う機会は、こうして失われていったのです。


今の都市に、本物の牛を見たことがある人はどのくらいいるのでしょうか。あるとしたら、観光牧場か、北海道や阿蘇と言った放牧で有名な旅行先で遠目にか、時折行われる食育イベントでの乳しぼり体験か、その程度でしょうか。漠然とした「牛」の認識に、メディアによってつくられるイメージが重ねられていきます。その結果が、キャラクター化された「かわいい」牛と、乳製品や牛肉といった消費される畜産物としての牛、そしてその二つの断絶を生んだように思えてなりません。勿論キャラクター化が進むのは牛だけに限らず、豚や鶏といった他の畜産動物もそうですし(むしろ牛よりよほど深刻かもしれません)、普段私達が触れ合うことのない多くの野生動物もそうです。

だから、この『丑年』に牛を考えること。それを、動物全体を考える、そのきっかけにしてみませんか。


畜産現場やサンクチュアリを訪れて、実際に目で見て、触れて、その体温を知り、息遣いを頬に感じる。本当はそれが一番なのですが、多くの場合は、展示や触れ合いのために整えられた観光牧場を訪れるのが精一杯だと思います(※家畜伝染病等の問題があるので、農家さんの許可なしに目についた牧場や牧草地等に足を踏み入れるのは絶対にやめてください)。

そして、畜産現場の牛を描いた絵や、(できれば広告用ではなく、農家さんが日々何気なくSNSに投稿されるような)写真や動画が、リアルの牛を知る助けになると思います。


擬人化された牛のイラスト。牧草地でくつろぐ牛の写真がプリントされた牛乳パック。ショーケースに並ぶ牛肉。それだけではなく。同じ大地の上で呼吸し、鳴き、今もどこかで新たな命を紡ぐ、牛に。

少しでも目を向けてみれば、牛や、畜産物に向ける意識も、少しずつ変わってくるのではないでしょうか。






参考文献

・耕作図屏風、牛と日本人の関わりについて

静岡県立美術館(2014)『アニマルワールドー美術の中のどうぶつたち』 静岡県立美術館

佐藤健一郎, 田村善次郎著 ; 工藤員功写真 (2018)『十二支の民俗誌 改訂新版』八坂書房

・Rudolf Koller 氏と“Die Kuh im Krautgarten”について

・富田美穂さんのブログ


(文中に引用したURLを含め、webサイトのアクセス日は全て2021.1.16)

bottom of page